フルノシステムズの 原点、歴史

当社のルーツは、超音波を利用した魚群探知機を、1948年に世界で初めて実用化した古野電気にあります。1984年に独立し、独自の成長を遂げてきました。「新しいことへ挑む姿勢」「モノづくりの精神」を受け継ぎ歩んだ、約40年の歴史を振り返ります。

SCROLL

創業1984年

〜1990年代前半
1990年代後半
2000年代前半
2000年代半ば〜

現在2020年代

~1990年代前半 世界が認める船舶用電子機器メーカーから独立

フルノシステムズの歴史は、ハンディターミナルの歴史と言っても過言ではありません。
ハンディターミナルの発展に、どのような貢献をしてきたか。
そして、それはなぜ可能であったのか。
まずは、当社の創業期からご紹介いたします。

アプリでハンディターミナル開発に寄与

1980年代初頭、魚群探知機で培った技術を基に船舶用電子機器の総合メーカーとしてさらに飛躍していた古野電気。海から陸へ、その事業領域の拡大を視野に、陸上用機器を販売する会社として創設されたのがフルノシステムズです。

創設から間もなく、初めの転機が訪れます。当時、普及し始めていたパソコンのような機能を搭載しながら、持ち運んで使える機器の開発・生産を古野電気が依頼されたこと。お客様のニーズに合わせたアプリケーション開発を、フルノシステムズが担ったのでした。この時の機器が、やがてハンディターミナルへと発展していくことになります。

商品の発注や在庫管理で拡販

ハンディターミナルが本格的に市場に受け入れられたきっかけは、バーコードの普及でした。本来はPOSレジでの利用が目的だったものを、棚卸しに利用することを思いついたのでした。

当時、棚卸し及び商品の発注には、従業員が品名を手書きし、FAXで送っていました。そこで起きていた問題が、商品名の書き間違い。

それが、バーコードで商品を認識し、在庫管理や発注をデータで行うことによって、正確な補充・発注ができるように。これが評判を呼び、ハンディターミナルの販売数が飛躍的に伸びたのでした。

Memorable Products

小型・軽量ハンディターミナル

PI-55リブラ

まだ無線未搭載だったハンディターミナル。このため、読み取ったデータをハンディターミナル内に蓄積していけるよう、業務用パソコンの4~5倍のメモリ容量を搭載しました。

それでいて、大きさはハガキサイズ、価格はパソコンの半分。大手通信機器会社からOEMの打診を受けるほど、当時として画期的なモデルでした。

Our Philosophy

古野電気から受け継ぐDNA「堅牢性」

古野電気が主力としている船舶用機器は、船内の強い揺れや振動などに耐えるのに、高い堅牢性が不可欠です。持ち運んで使うため、落としたり、雨に濡れることが多いハンディターミナルにも、このノウハウが活かされています。

堅牢性の秘密は、試作と評価。その、試行錯誤の連続です。パーツの配置を工夫したり、落下・衝突時に筐体全体がねじれて衝撃を和らげる構造にすることで、故障リスクを大きく低減。高さ70cmからの落下テストを、年間300回×5年間を想定して計1500回、今日も継続して実施しています。

1990年代後半 無線通信技術で業界を変える

ハンディターミナルの開発で、フルノシステムズが業界に
もっとも大きなインパクトを与えた「無線LANの搭載」は、
Wi-Fi規格もまだ存在しない90年代半ばでした。
先鋭的な事業展開の裏にあった思いや苦労とは。

日本で初めてハンディターミナルに無線を搭載

ハンディターミナルにより現場で集めたデータは、事務所へ戻り、パソコンなどへケーブル接続でアップロードするしかありませんでした。しかし、これを無線LANやBluetooth®により、国内で最初に無線化したのがフルノシステムズです。常に新しい技術の導入を模索する姿勢が、以降のハンディターミナルに大きな影響を与えました。

Bluetooth®の接続相手として最初の機器は、作業員の腰につけて使う小型ラベルプリンタでした。Bluetooth®機能をもつ機器は少なく、プリンタメーカーにフルノシステムズから技術指導をして製作してもらうほど先進的な試みでした。

無線化は、現場での作業性を考えたから

"現場"を第一に考えるフルノシステムズの理念、無線化はそれを具現化したものの代表です。倉庫内を動き回る作業員にとって、機動力は重要です。腰のプリンタとつなぐだけであっても、有線では取り回しが悪く、作業の邪魔になります。コードレス化に向かうのは必然でした。

取り回しのいい無線型ハンディターミナルは、病院や物流など、一日中動き回り使い続ける業務での需要が高く、まずはそこから販売が拡大。今では利用が当たり前となった小売業では、ハンディターミナルを開店前・閉店後にしか使用していなかったため、無線型の普及はもう少し後になります。

Memorable Products

初めて無線LANを搭載した

PI-82SS

無線型ハンディターミナルの開発では、無線モジュールの内蔵にもっとも苦労しました。内蔵に伴う重量増加で落下時に受ける衝撃が増したり、無線LANの受信待機によってバッテリーの消費が増えるなどの課題が発生。それに対応した上で、機動力を確保するために、筐体の小型化は不可欠だったからです。多くの課題を克服して、日本初の本格的な無線型ハンディターミナルが誕生したのでした。

Our Philosophy

現場へ"目"を向け続け、声に応える

現場のことを考えるなら、まずは「どのような環境にあるのか」、そして「誰が使うのか」が重要なポイントです。

ハンディターミナルをよく使う従業員にはパートタイマーがおり、女性が多く採用されています。お客様はハンディターミナルを導入する際、この女性たちに実物を見せ、その声を聞いて採用機種を決めることが少なくありません。良いと思っていただくには、「軽さ、持ちやすさ」が必須です。こういった視点も製品開発に活かされています。

2000年前後 大きな転換が、未来への布石に

ミレニアムに沸く2000年、フルノシステムズでは大きく体制を転換。
古野電気のハードウェア開発部隊が合流し、
ハンディターミナル事業がフルノシステムズに集約され、
製販が一体化されます。そして、製品自体にも大きな転機が訪れます。

アクセスポイントを自社開発

無線LANハンディターミナルを使用するために必要な、電波の基地局「アクセスポイント」。これを当初はアメリカからOEM調達し、単なる付属品として販売していました。しかし、調達コストが高かったため、無線LANハンディターミナルを開発してきたノウハウを活かして自社開発することになります。

アクセスポイントを自社開発し、ハンディターミナルとセットで販売したことに、当初は他社や顧客も懐疑的でした。「誰が造っても同じものを、わざわざ造るのか」と。しかし、自社開発には確かなメリットがあり、「ハードウェア PI-11000」が大ヒット。これがその後、アクセスポイント単体での販売へとつながっていくことになります。

お客様のソフトウェア開発の負担を大幅軽減

世の中のソフトウェア方式がクライアントサーバ方式に移行していた当時、フルノシステムズでもクライアントサーバ方式を無線LANで実現していました。ハンディターミナルを運用するための、クライアントサーバのソフトウェアに、フルノシステムズのMORS(モールス)というミドルウェアを搭載。これが顧客から好評を得ます。

顧客側では大変困難であったデータ送受信に関わるプログラム制作を、カプセル化してMORSに格納することで、フルノシステムズのハンディターミナルが、非常に導入しやすいシステムになったからでした。

Memorable Products

フルノシステムズの理念を象徴する1台

PI-11000

「軽い、強い」を追求し、初めて真に満足のいく機種になったのが「PI-11000」でした。開発当初から高い目標を設定。それまでに比べて段違いの落下強度、市場でNo.1の軽量性を、コストも抑えつつリリースすることを目指しました。結果、目標を高い次元で両立。2000年代に入り「finpad」ブランドも立ち上げ、ラインナップの拡充を進めました。

Our Philosophy

自社開発だから、できることが拡がる

"線が無い、線が見えない"無線通信における接続トラブルは、完全には避けて通れないもの。問われるのは"対応力"です。ハンディターミナルあるいはアクセスポイントのどちらかだけを造っている事業者だと、原因を相手の機器に求めがちになります。しかし、両方を造っていれば双方の視点からアプローチし、原因をすみやか究明することができます。

また、国内で開発・製造をおこない、筐体と通信の両方のノウハウを有する技術者が社内にいることで、カスタマイズニーズにも柔軟に対応。これらがフルノシステムズならではの強みとなっています。

2000年代半ば~ 無線LANアクセスポイントでさらなる飛躍へ

アクセスポイントの自社開発という英断が、2000年代半ばに入って、
あらたな事業領域を拓くこととなります。
「無線LANの一般普及」に向けた時代の流れが、
フルノシステムズにとって大きな推進力となったのでした。

アクセスポイント単体での需要の高まり

2000年代に入り、Wi-Fiの規格の登場により、無線LANの一般への普及が急速に拡大。ノートPCを中心に無線LANの標準装備が進み、一般家庭でも無線LANアクセスポイントや無線LANルーターが購入されるようになります。この流れに応じて、フルノシステムズでもアクセスポイントを単体で販売する計画が持ち上がります。

フルノシステムズでは、ビジネスや公共施設における業務用アクセスポイントの開発・供給に注力。自社ブランド「ACERA」の展開において、2020年には全国の小中学校で大規模な受注を記録。また、大手通信事業者のビジネス向け通信サービスでOEM採用されるなど、確かな実績を残しています。

「つながる、信頼できる」で支持を獲得

フルノシステムズのアクセスポイントは、複数のアクセスポイントを一か所で管理できる「集中管理型」と呼ばれるものです。集中管理を可能にしているのが、ソフトウェア「UNIFAS」。これを利用し、何百台ものアクセスポイントを監視している顧客もいます。

ただ、独自性や先進性を追うよりも、規格に合わせた信頼性の高い製品づくりに力を注いできました。開かれ、標準化された世界であることが、通信技術には重要だと考えるからです。よって製品開発において、他の機器との接続や、正確なデータの受送信、そしてセキュリティ対策などで常に検証やアップデートに取り組み、製品をリリースし続けています。

Memorable Products

アクセスポイント単体で初めてリリース

ACERA

アクセスポイントを自社で開発し始めたのは2000年頃。輸入品があまりにも大型で、天井などに設置できるサイズではなかったことがキッカケでした。これがACERAへとつながっていきます。

そして、広大で障害も多い物流倉庫における通信ノウハウを注いで開発したACERAは、「多台数端末の同時安定接続」や「高い耐環境性能」などで、業務用ならではのニーズに応えられる製品として支持をいただいています。

Our Philosophy

新しいことへの飽くなき挑戦

フルノシステムズの根底には「常に新しいものを」、そして「世の中にないものを」創り出したいという思いがあり、いくつもの実績を残してきました。

まずは、やはり「ハンディターミナルの無線LAN化」。そして、「ソフトウェアのカプセル化(ミドルウェア化)」なども珍しいものでした。また、耐久性を高める「二色成型」をハンディターミナルで初めて採用しました。

その他でも、カラーユニバーサルデザインの採用や多台数接続の実現、あるいは軽量性の追求や堅牢度試験の導入などでも、常に業界をリードしてきた実績があります。その事実が、フルノシステムズの歴史なのです。

現場を想い、革新を追い求めて
歩んできた約40年。
使う人のことを考えた設計思想は、現在の製品にも。
そしてフルノシステムズの、
次の世代にも
受け継がれていきます。